×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

さて生島氏に大きく夢を与えた作家二人。
この作家らがどのように『黄土〜』にて反映されているのかは先述の通り
著作を読んで頂くと更に面白みが増しますのでお勧め致します。





血沸き肉躍らせる冒険作家〜 山中峯太郎


大正期から昭和初期、あらゆる少年達に愛読されていた『少年倶楽部』という雑誌がありました。 発行は大日本雄辯會講談社(現在の講談社)、のちに軍国主義的な内容から批判を浴びる雑誌ではありましたが 執筆陣は江戸川乱歩を始めに横溝正史、大佛次郎、田河水泡(「のらくろ」) といった現在でも愛読される質の高い顔ぶれでした。
その面々の中に名を連ねている山中峯太郎、その作品は軍国主義を煽ったとして批判がある反面、実際の人物は中国革命へ深く傾倒し、 エリート将校であったにも関わらず当時所属した陸軍大学校を自ら退学へと仕向け、朝日新聞通信員となり渡中。 密かに中国名をホウ(广+龍)継竜,章志向として孫文、李烈鈞など中国革命同盟会の志士と深く関わります。 孫文革命の挫折後に帰国し新聞記者とを経て作家となった経緯をもつ人物です。 軍を離れたこの人物の小説が軍国思想的とは何とも複雑な話ですが、 彼の見た中国との連繋の夢は“大東亜共栄圏建設”という「餅」に間違いなくそぐうものであったといえるでしょう。
作品としてもっとも有名なのは日露戦争での斥候(偵察)隊の実話をもとにした『敵中横断三百里』。 単行本が昭和11年当時で約200版まで刷られていたというから売れに売れたものと思われ、人気作家としての地位を確立。 その次に出されたのが『我が日東の剣侠児』という第一次世界大戦下のヨーロッパを舞台に本郷義昭が活躍するスパイ活劇ですが この作品で前振りを入れておいて、舞台をアジア地域に移し、己の体験をももとにメッセージを込めて書かれたのが『亜細亜の曙』でした。 時期は昭和6年(1931)から昭和7年(1932)、ちょうど満州事変や第一次上海事変の頃、日本が中国への圧迫を強めていく時期に当たります。
さてこの小説、冒頭を長江に浮かぶジャンクの口絵で飾り、西條八十の詩で読者を迎えます。

          ああ崑崙の峯の雲、 今日くれなゐの火と燃えよ、
         ああE々(べうべう)の揚子江、 いまぞ血潮の色となれ。
          眞紅の曙光かがやきて、 朝は来れり、大亜細亜 
         古き山河の夢を揺り、 目覚めの鐘は鳴りわたる。(後略)
そして登場する本郷義昭。帝都東京より運搬中に外国人に奪われた軍事機密資料を奪い返すため、密かに敵と同じく上海へと渡ります。 本郷は黄子満と中国名を名乗り奪還工作を開始するわけですが、敵の本拠地(軍事要塞)に潜伏中、ルイカールと名乗るインド人少年と出会います。 ルイカールは自国の解放の為に敵の陣地へ潜り込んできたインド国王子で、本郷は彼と共に敵を倒すことを目差す…という筋書きです。
この敵の要塞がアジアを抑圧する欧米列強のものである、よって共に戦わなければならない、という正義感にもとづいたメッセージは、 真っさらな子供の心に美徳として根付いたことなど想像に難くありません。
ただし生島氏はこの美徳に敗戦後大きく裏切られ、紅真吾に見られるような頑なな人物像が生まれます。

 山中峯太郎 主な著作:『敵中横断三百里』(昭和5年)
            『我が日東の剣侠児』 『亜細亜の曙』 『大東の鉄人』(昭和6〜8年)
            『萬國の王城』 ほか。       ※現在の入手は古書のみにて可能です







アイリッシュの血 誇高の翳〜 レイモンド・チャンドラー


ハードボイルドの世界ではお馴染みのフィリップ・マーロウの生みの親、R.チャンドラー。
映画『三つ数えろ』(原作「大いなる眠り」)でハンフリー・ボガードが演じ、世界中に 探偵マーロウと作家チャンドラーの名前が広がりました。
世間に媚びず己を持つ強い探偵の姿は現在でも多くのファンを作りつづけていますが この探偵の生みの親自身がマーロウを必要としていたと言っても恐らく的外れではないと思います。
1888年7月23日シカゴにて、アイリッシュ系アメリカ人の父モーリス・B・チャンドラーと アイルランド人の母フローレンス・ソートンとの間に生まれ、7歳の頃に両親は離婚。 母方に引き取られたチャンドラーは母の親族のいるロンドンの郊外へ移り幼年期を過ごします。
母子を邪魔者扱いにする祖母とおばによって規則正しい生活が決められ、 励まし育ててくれる「父」の存在が無いことからか、自分が自分と母を見なければならないという 意識が発達していき、更にまたアイリッシュ系(大抵がカトリックとブルーカラーを指す)という 世間的なレッテルに大きく反発を感じていたことで、世の中に対する冷ややかな観察眼と独立心が備わったといえます。
1900年、チャンドラー親子はロンドン郊外のダリッチに転居し、チャンドラーはダリッチ・パブリックスクールへ入学。 優秀な成績で卒業しますが、経済的な面から大学進学を断念。公務員となるため英国籍を取得し国家試験に合格するも退屈さに負けて半年で勤務していた海軍省を退職。 新聞記者などあらゆる職を転々としますがうまく行かず、兼ねてから願っていた作家志望の夢が強くなります。
整然とした英国社会に見切りをつけたのか、1912年アメリカへ帰国。ロサンゼルスに腰を落ち着け、知人の石油会社に就職。 傍ら文筆において何度か失敗し、本格的にビジネスを捉え始めやがて役員にまでなりますが、20歳年上の妻との気持ちのすれ違い等から女子社員とのスキャンダルを起こし、 飲酒、自殺願望、無断欠勤がひどくなり始め44歳で免職。ここに至って生活のためにやっと読み捨ての大衆紙への執筆を決意し、 当時D・ハメットが執筆していたパルプ紙『ブラック・マスク』へ初作『脅迫者は撃たない』を送ったところ採用され、ここからチャンドラーの作家生活が始まりました。
短編24作・長編7作。中でも後期に書かれた長編の『長いお別れ』では、マーロウの眼を通して単なる探偵小説と片付けることの 出来ない人間の誰もが持つ根本的希求を静かに描き、アメリカ探偵作家クラブ(MWA)最優秀長編賞を受賞する反面、 チャンドラーの嗜好についての物議も醸し出しました。 チャンドラー自身の見てきたものがどれだけのものだったかは計り知れませんが、謎の尽きない作品であることは確かです。
私見としてこの作品については解説を起こす必要を感じません。未読の方には「ただ読むべし!!」(笑)。
そして生島に深入りする原因を感じ取ってやって下さい…。

 R.チャンドラー 主な著作:『大いなる眠り』(1939年)『さらば愛しき女よ』(1940年)
               『高い窓』(1942年) 『湖中の女』(1944年) 『かわいい女』(1949年)
               『長いお別れ』(1953年) 『プレイバック』(1958年)
                      ※創元社推理文庫、ハヤカワ・ミステリ文庫にて入手可能です