■北四川路周辺■




"…公湾病院は、蘇州川が黄浦江と入りまじる交流点の近くにあり、蘇州川に沿った
北蘇州路に面していた。その付近には官庁や商社のビルが建ち並んでいるせいで、
夜間はひっそりと静まりかえっている。昼の間は、塵芥が浮き、汚穢舟が列をなして
すさまじい臭気を放ち、黄褐色に濁っている川の水も、今は黒々としていて、
うらさびしく美しくさえ見えた。…"



  
〔夜〕乍浦路橋上より。左は南蘇州路側、右が北蘇州路およびライトアップされた郵政局


  
〔昼〕乍浦路橋より旧キャピトルシアターと旧英美煙草公司    奥:上海郵政局と手前:旧公済医院跡(本文中'公湾')




四川北路を北に向かって (手前左:郵便局 右:旧松坂屋)



昆山花園路の旧いアパート



一階部分が商店で塞がれた洋館



海寧路交差点 旧い建築物の背面は取り壊し済



海寧路、高架より四川北路を北に



横浜橋脇の赤い屋根の住宅街



旧尋常小学校校舎



"…ここには、中国人街のような汚臭もなければ、盛り場の路傍のような喧騒も無い。
ただひっそりと、なに不自由のない豊かな生活を楽しんでいる人々の
住宅街といった気配がありありとうかがわれた。
 時間は五時を少しまわったところで、あたりはぼんやりとうす暗くなりはじめている。
 紅は沢井和彦の邸である、施高塔路四十三号の前に立ってしばらくその様子を眺めやった。…"


四川北路より山陰路(旧施高塔路) 


   
既に取り壊しの済んだ43号近辺跡地(推定)



かつて日本人の多く住んだ住宅街



山陰路より吉祥路を臨む



撮影 2004.5.23




※放浪ノ記※

現在の四川北路(旧北四川路)は旧い建物が残された観光スポットなのだそうですが
観光そっちのけでこちらを訪ねた目的は"かつて生島氏が住んでいた建物を捜す"ことでした。
『夢なき〜』作中の沢井邸が43号と特定されているのは当時の自宅がモデルだったらしく
引揚げての戦後の貧困の中で紙に家の間取りを描いて心身の飢えを満たそうとした、と
エッセイ『名探偵〜』の中にあったため、ぜひ記録にと思ったのでしたが…。
山陰路界隈をうろうろと、住宅街の中を捜しても英国風の赤煉瓦3階建ての洋館なんて
見つかりもせず、それらしき建物もあったですが、どうも赤煉瓦造りではない。
区画番地は恐らくそう変わっていない筈でしたが詳細地図というのは上海に売っておらず
実際の番地を確認しながら歩いても皮肉なことに43〜48号までがすっぽりと無くなっていたので、
堪りかねて地元のオジサマ達に「旧施高塔路の43号は何処ですか?」と尋ねることに。
親切な40代ぐらいの(ちょっとワルっぽい伊達な(笑))お兄さんが付近の人に聞いてまわり
その番号は数年前に整理されたらしいことを教えてくれ、かなりガックリ。
もっと早く来ていればと肩を落としていたら「派出所で聞いたらどうか」と
案内まで(!)して頂き、公安のオジサマ数人を巻き込んでの問答会に(滝汗)。
いつからいつまで住んでいたか、何という名前か等を聞かれて、戦前のころだと伝えると
「調べようが無い」とのことで、結局は区画を確認してお兄さん方とはサヨナラ。
今でも、そんなしっかりした洋館を簡単に壊してしまうものかなと信じられませんが
それが出来るのが今の上海なのかとも思います。ショックも大きかったですが
地元上海の皆サマの予想以上の親切さに救われ、打ちひしがれずに(笑)済みました。
「多謝」というと「不用謝」と照れくさそうだった上海訛りの伊達兄が印象深かった…
取りこぼしも数箇所。また行きたいと思います。