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生島治郎(小泉太郎)
 お別れの会

2003年3月5日 13:00〜14:30




生島氏は
「おれが死んでも葬式はするな」
と言い置かれたそうです。

しかしその通りにはできず
葬儀委員長大沢在昌氏は
"お別れの会"として準備。
焼香はなく献花となりました。

出版社の取材が入っていたため
後日いずれかの雑誌に詳細が
伝えられるかと思いますが
こちらでは一個人としての
見たままを…。






場所は大田区南馬込にある萬福寺梶原殿(写真)。風が冷たい日でしたが晴天となりました。
記帳の際、風と緊張のあまり手がかじかんでしまいひどい字となったことが少し悔やまれます。


殿内にはいると10〜20m前後の会場の正面奥に、遺影と菊花に囲まれたクリーム色の棺が見えました。
開始時刻まであと20分程。約100席の椅子の後方に落ち着き生島氏の遺影を見てましたが
ふと左に目をやると柱の近くで北方謙三氏が立ち話をされていたり、藤田宜永氏・小池真理子さん
ご夫妻や右には井上ひさし氏のお姿を拝見。(浅学の私には、お名前の判る方はほんの一握りです。)
ただ、大半の方は前日のお通夜でご挨拶を終えられたのか、意外に少なかった気も致します。
恐らくは椅子に座られなかった方々を含めて120名前後の参列となったかと思います。


時間となり司会の方のご挨拶と大沢委員長のご挨拶とのあと、代表される作家・関係者諸氏から
弔辞ではなく、生島氏との思い出が述べられました。何とも印象深いのは、諸氏が口を揃えて
生島氏が「人懐こく、寂しがり屋だった」ということ。夜中に突然電話を掛けて来て何時間も話し
込むということが少なからずあったようで、お人柄が作品群の通りだったのだなと感じました。

>>生島氏との思い出



思い出を伺ってから献花。
御遺族、関係者、一般会葬者の順に白のカーネーションを生島氏の棺の前へ。
その間弔電が読み上げられ、浅田次郎氏、鳴海丈氏、眉村卓氏などのお名前を耳にしました。
鳴海氏の弔電が「大親分、往生なすったんですかい。柴練には会えましたか」といったもので、
とても「らしく」て印象に残りました。弔電ののち、記帳の際に受付でお渡しした哀辞BBSの
メッセージを内二つほど読み上げて頂くことができ、大変有り難く感じました。現実に繋がりを
持ち得ないサイト運営にとって、管理者冥利に尽きるとはこういったことなのだと思います。


献花が終わり、"最後のお別れ"の準備のため一旦外で待機します。
このとき時間の都合で帰られた方も多かったようで、人数が半数程度になっていました。


棺の蓋が開けられ、"最後のお別れ"です。
先ずは一般会葬者から。初めて真近で拝見できる生島氏の姿でした。
足元から全身にかけて白いカーネーションで埋められ随所にフリージア、カトレア、トルコ桔梗など。
襟元には黒とグレーのチェックのマフラー、頭部右上には文庫本がありました。他にも色々添えられて
いましたが全ては見きれませんでした。生前の表情を拝見したことがないので何ともいえませんが、
閉じられた目から鼻にかけて、涼しく凛々しい方だったのだなと感じました。
荼毘に付されればもう残らない姿形なのかと思うと、右頬の近くにカトレアを添えながらも数秒間、
目を逸らすことが出来ませんでした。
暫時合掌しその場を離れたのですが、さぞお邪魔していたことだろうと思います。
どなたもいらっしゃらなかったら私はきっと氏に触れてしまっていたでしょうから、とんだ不届者です。
一般会葬者が終わり、関係者・御遺族のお別れとなり思い思いの言葉を伝えてから蓋が徐々に閉じられます。
このとき京子さんが韓国語で「カムサハムニダ!」と仰っていたのが何とも切なく耳に残りました。
そのあと号泣されたのか控え室へ姿を消し、次段の喪主・親族の挨拶には出てこられませんでした。


最後に閉じられた棺を前に、喪主である弟・小泉次郎氏よりご挨拶を頂きました。
小泉氏のお話によれば生島氏は亡父(小泉辛吾氏)に倣うところがあるらしく、父が68歳で他界したと
同じに70歳で目処をつけ、その齢までを最後の一作とするつもりだ、と仰っていたそうです。
「実際その通りになりましたが、入退院を繰り返し相当つらかった様子であったので、
やっと楽になれたのだろうと思います。」との小泉氏の言葉に、こちらも慰めていただけた気がしました。


出棺の見送りに外へ出ます。
葬儀を嫌った生島氏のために霊柩車ではなくグレーの通常のワゴン車が用意されました。
京子さんも姿を現し、車内に納められた棺の左隣へ乗ります。
偶然、真正面で京子さんの姿をじっくり拝見できたのですが、その姿に感動。
黒のジャンパーに濃紺のジーンズの短パン、髪はブロンドに近い色まで染められ、青のシャドウにピンクの口紅。
以前雑誌に載ったときより痩せてしまったようでしたが、片翼の天使さまは小説そのままに型破りです。
会葬者にも火葬場までのマイクロバスが用意されていましたが、他人である私にはそこまでは行けないため
ここで本当に最後のお別れをさせて頂きました。長いクラクションが響き出発。見送る我々は一礼合掌。
このとき私なぞは耐えきれず既に涙していたのですが、お隣に黒鉄ヒロシ氏が立っていたらしく
「この人どういった関係だろうなー…」と内心疑問に思いながらちらりとこちらを見ていた気配を感じました。
怪しい者には違いないかも知れませんが、○人や隠し○ではありませんのでご安心下さいxxx。


記憶が不確かな部分もあろうかと思われますが以上です。
残される者にとっては辛いお別れでもありますが、同じ時間軸に在って間接的にでも拘わることができたのが
私の何よりの誇りです。そしてそれを近郊・遠方の皆様と共有できるネット時代に感謝。
この度、部外者同然の者の弔問を受け入れて下さった御遺族・関係者の皆様にも深く御礼申し上げます。
このページは佐野洋氏の思い出話の終わりの言葉をお伝えして締め括らせていただきたいと思います。


「生島さんは私の心の中に生き続けている」